鐵炉炎言 ストーブ屋のたわごと の倉庫       

 注意 ここは表題のように倉庫である。 古いものやつまらないもの小難しいものを放り込んである。 倉庫だから中身は当然 賞味期限切れや人気のないものばかりだ。しかし、一度は展示したものだから その責任上消してしまうわけにもいかない。ということで 見るのは勝手だが、それで詰まらないなどと言われてもお相手ができないことだけは断っておく。


 
11年4月或1日 3.11と9.11ではなにが違ったか  リーダーのするべきこと
 ニューヨークの9・11の時 ブッシュ大統領は事態を国家的危機と位置付け、「非常事態」を宣言して悲しみと不安と恐怖に陥った国民に対して団結と「テロとの闘い」をよびかけた。「平時」から「有事」つまり国を挙げて「テロとの戦争」という「戦時」という総力戦に国民を組み込んだ。それはやがてアフガニスタン侵攻・イラク侵攻というブッシュがその利益を代理するアメリカ石油資本の意図にハンドルを切っていくことになったが、9.11によってうけたアメリカへの被害と衝撃からアメリカ国民を立ち直させていく力になったことは否定できない。
 日本には「非常事態法」はない。これを機会にこうした法律をつくりたいと画策している連中が居るがそれは目的が違う。そうした法律が無くても非常事態の時は非常事態なのである。震災、津波だけでなく原発の事故で極めて大量の放射物質が福島だけでなく東北・関東圏に拡散している。その時国家リーダーが「平静」だけを国民によびかけることは異常である。非常事態であることを宣言して「平時」とは別の対応をよびかけ、実行することこそリーダーとしての役割である。

10年8月或2日 大阪では生コンがストライキ中 「資本主義の根幹にかかわる」
 大阪の生コン労働者が7月2日から生コンの単価引き上げを要求してストライキに入っている。生コンが止まることは建築の躯体工事ができず他の建築工事が止まることに等しい。ほんらいなら大阪府のほぼ全体で建築工事がとまっていることは大きな社会問題である。
 ところが面白いことに関西エリアのTVでは報道されているようだが、このことは全国ニュースには流されていない。なぜなら関西の生コン労働者の運動が全国に波及しないようにゼネコンやマスコミが握りつぶしているからた。かつてこの関西コン労働者の運動については日経連会長の大槻文平が「資本主義の根幹にかかわる運動をしている」と「箱根の山を越えさせない」(全国にひろまらないように抑え込む)と必死になったことがあり、資本主義を倒し労働者の味方のはずの共産党の不破哲三も虎を踏むどころか「虎の背骨を踏んでいる」と運動の分裂にやっきになったことがある。
 それはともかく、この生コンのストライキは、現在の単価では中小企業である生コン業者もそこで働く労働者のやっていけないと 1立メートル単価18000円を要求して立ち上がったものである。建設業界の人ならばわかるが現状は10000円前後ととてもやっていけない単価に抑え込まれている。
 このストライキの結果、大阪の7〜8割の建設業者はこの要求をのんで妥結しその現場には生コンが運ばれ工事が進められている。しかし、2−3のゼネコンはまだ妥結せず大きなプロジェクトなどで工事が停止している。
 なぜこのような大規模なストライキ=建設産業でいえはゼネストのようなことができるのかというと、簡単にいえば、原料であるセメントを製造するセメント大企業がカルテルを結び生コンにして販売運送する中小の生コン業者押さえてきた。一方ゼネコンは生コンの値段をたたき放題に叩き、そのためにはセメント会社と結託して別に生コン会社を作るなど業界を支配してきた。そこで生コンの労働者は労働組合をつくり、それだけでなく雇い主である生コン業者に協同組合をつくってセメント資本やゼネコンに対抗することを援助してきた。そして生コンの協同組合と生コンのいくつかの労働組合が「労働協約」を結んで業者の単価と労働者の労働条件を協力して守る体制と運動を築いてきたのだ。もちろんその道のりは厳しく資本の雇ったナラズモノに殺された労働組合の幹部もいるし、警察権力も「脅迫」「暴行」をでっちあげては労働組合を今現在も弾圧している。まさに「資本主義の根幹ににかかわる」という危機感からである。
 中小業者が経営が継続できる単価をもとめ、労働者が誇りある労働と生活ができる賃金条件を求めるのは当然である。そして「労働協約」が双方を守り大企業の横暴と闘うことに役立つことをこの関西生コンの運動が教えている。
関生hp  http://www.kannama.com/

゛10年10月或日 いまだに腑に落ちないこと
 派遣労働者の厳しい状況については承知している。そしてささやかではあるが私もその運動に協力や援助をしているつもりだ。
 しかし、まだ腑に落ちないことがある。それは仕事がないのならなぜ仕事の選択肢のひとつとして建設労働者や職人の道を探してみないのだろうか? ということである。

 これまで接したことのある派遣などの若者から感じることのひとつは、現在自分がしている労働をお金と労働あるいは時間との交換つまり時間を売って金を貰うことと考えていることだ。そして、自分にはほかに「自分らしい仕事がある(はず)」と思っているらしいことである。

 そう思ってしまう状況は解らなくもない。確かに彼らが背中をみてきた大人や親たちは「仕事 仕事」と言いながら結局は家族にお金だけを持ってきて自分はどんな仕事にどんな生きがいをもっているかを示さなかったことが多い。そのあげくに「俺は家族のために働いている」「家族だけが生きがい」などと言うのだから、結局は「金だけじゃん」ということになる。
 もうひとつは、仕事仕事といっても所詮は、会社で、会社のルールに従って会社のために働かなければ「仕事」としても「労働者」としても認められず給料ももらえないし雇用も失うのが日本の労働の実態である。
 つまりは、「金のために、その企業の社員らしく働く」ことが仕事であり労働である。それならば、若者たちの労働観、仕事観は、残念ながら正鵠を得ていると言える。

 「自分探し」が流行り、現在も「自分らしい仕事」を探す若者が多い。「自分探し」が逃げ水を追うようなことであることは養老猛志氏が喝破している。
 最近は少し減ったが、トレンディードラマでは「勝ち組」の主人公たちが摩訶不思議な活躍で経済や社会を動かし、今風のカタカナの名前の憧れの職業で活躍している若者が紹介される。ドラマでかっこうのいい若者が活躍するような役=仕事など現実にはないし、現に身の回りにそうした者を見たことはないだろう。「情報化社会」といわれるが、実はマスコミやテレビ、インターネットから垂れ流される『情報』はほとんどがガセネタでありテキトウに選別され誇張切り捨てがされているか何らかの意図や思い込みが入っている。生情報=事実でもないし受け手にそれを読み取る力もない。若者たちが「自分らしい仕事」と探しているのはそんな社会の脚本に沿っていることになる。

 話を戻せば、こうしたズレは、「労働」と人間、自分との関係が歪んできているからである。人間は労働によってモノを作ってくらしてきた。同時に労働によって自分自身をもつくってきた。

 
10年10月或日 「労働権」
 この問題は別のところに移しました。 http://sky.kenseturoudou.net/

10年9月或日
 地元の建設組合の旅行で会津に行ってきた。私もこの地域の責任者をしている手前参加をしなければならないことがあったが、会津は初めてでなかなか興味深い場所もあった。
 それにしてもまずもって暑かった。見学もそこそこに冷房の効いたバスに逃げ込む旅になった。
 もうひとつ、東京時代から職人社会とのつきあいは40年以上になるが、田舎の職人さんたちの旅行はその昔のイメージのままである。バスのトランクルームには酒が山のように積みこまれ、朝7時の出発とともに当然のごとくにビール、酒が配られる。皆さんは元気よく呑み始めるが、私も酒は嫌いではないが、朝からはとても呑めない。バスに乗っている間中呑んでいるから、慣れた添乗員はころあいをみてはトイレ休憩を入れる。昼食にももちろんビール。途中の見学を終えると冷たいビール。夕食の宴会は飲み放題・・・・まったくたいしたものである。 とても並みの肝臓力、体力ではついていけない。
  帰路には、新潟の海鮮市場に寄る。ここでの買い物もまた凄い。いつのまにか消えた酒の箱の代わりにバスのトランクルームには皆さんの買い求めたお土産の詰まった大量の発泡スチロールの箱が積み上げられる。これは職人さんに限らず「海無し県長野」の旅行で海産物の買い出しはお約束のことである。
 ということで 肝臓を酷使した旅行が無事に終わった。 お疲れさまでした。

10年8月或2

 8月は酷暑だった。トタン葺きの作業場はフライパンの中のようだ。おまけに炭酸ガス溶接を使っているので手元に風が吹くのは厳禁のため扇風機も使えない。頭がボーとして仕事をする気もなくなる。
 仕事が進まない原因は別にもある。8月1日に友人が亡くなった。そして8月26日にもまた友人が亡くなった。最悪の夏である。2年前にも一人を亡くしている。この3人とは大学時代から学生運動や人生の重要な時間を共にしその後も親しくまた時として厳しく付き合ってきた仲間である。そしてこの3人をすべて失ってしまった。このことはやはり堪える。虚脱感がある。
 「いい奴は早く死ぬ」というが、その通りである。誰も迎えに来てくれそうにないから 残った悪い奴はもうしばらく 疎まれながら憚るしかないようだ。
  

10年8月 「戦争という仕事」 再録
 変わった書名の本である。著者は内山節、私のすきな哲学者である。30年ほど前に紹介されて読んだ初作「労働過程論ノート」に大きな衝撃を受けた。当時流行っていた労働疎外論や経済からの労働論、また唯物弁証法ではなく労働に迫り、新たな哲学を拓いていた。当時私がかかわっていた雑誌にも「技能の過去・現在・未来」という小論の執筆を依頼した。今彼は自然と労働を軸とした哲学から森林、農業などひろい分野で活躍をしている。この本も「信毎」に連載したものである。現在私がこのようなくらしをしているのも彼から受けた刺激によるといっていい。
 出版は信濃毎日新聞社。長野県の人にはお馴染みというより「信毎」はほとんどの家庭が購読している独占的といってもいい地方新聞社である。桐野悠々という反骨のジャーナリストが主筆を務め、大株主である小坂家(いまなお長野財界のボスであり国会議員)に追われ名古屋に移り「他山の石」を発行したことで知る人も多いだろう。「信毎」はその伝統がわずかに残るのかいまも文化欄は充実している。

09年4月或2日 働く覚悟
 このところ見習い希望者などで何人かの若い人と接することが多い。あらかじめ言っておけばその誰彼ということではない。もともと私は自らを其の場所其の環境あるいはその周辺に身を置いて物事を考えることをしてきた。そうして接することで全体に含まれる問題を掴む思考方法をしてきた。
 仕事をする 働くにはそれなりに「働く覚悟」というか「仕事をする」考えが必要である。学校などの非労働生活=非生産的生活から労働し生産をする生活に入る段階で区切りをつける考えや覚悟をする必要が人間にはあるのだと思う。
 その意味で現在問題になっている非正規雇用、派遣労働はその人にも社会にも深刻な問題を含んでいる。かつて私は会社の「新入社員教育」や「成人式」などはくだらないもの形式的なものとしてバカにしていた。確かに企業の行なう「社員教育」は企業にとって都合の良い人間=会社人間をつくることを目的にしているから唾棄すべきものがある。しかし、企業も会社人間にする前提として新入社員をまず「労働者」「生産者」という自覚をもたせなければならない。労働とは単に労働力を売りお金を得るだけのものではなく人間はなんらかの生産労働に携わらなければ生きていけないし労働それ自体に社会にとっても自分にとっても価値があり意味があるということを得心させる必要があるのである。これは企業に限らず小事業や自営業も農業・・でも親方や先輩や同僚から知らず知らずに教わりそしてなにかの機会に「がんばっていけよ!」といった歓迎や励ましの言葉をきっかけでつくられるすべて人が働いてくらしていく基本としての覚悟というか自覚である。各種の行事や教育もそうしたことの通過儀礼というか象徴なのだろう。
 学校などをでてたまたま『正社員』になれなかったりした派遣社員などの不幸は、そうした区切りができないままに 労働力とお金を交換することだけが「労働」のまま過ぎて来ているような気がしている。企業にとっては機械同様に使うときだけ使うだけ使って「使った分だけの費用」を払えば良いのだから都合がいい。派遣のほうが良いという人も企業との無駄な関係をもたず『働いた分のお金』を貰えるからよいのだろう。もちろん何かの目的などがあってそうした労働生活をしている人はそれでいい。
 しかし、「働く覚悟」ができていないままに働き続けることは苦痛であるだけでなくそれが苦痛から日常になってしまうと:人間を壊してしまうことになる。
 ヨーロッパの思想の中では労働は苦役だが、日本の感覚では労働は人間形成に重要なものである。


 
09年3月或4日 家業
 大学の寮で一年を共にした5人の友人がいる。郷土も学科も考えもそしてその後の道も違うのだが今も誰からか声を掛けては数年に一度全国から集まる。若い頃のその集まりでは呑んだ議論の末に必ず誰かが殴られ、翌朝はそのことを笑いあって再会を約束して別れる学生時代そのままの変な集まりである。
 先日そのうちの一人がTVにでていた。抹茶屋の三代目だが、家業を伸ばし現在の抹茶ブームを仕掛け、今は日本のというより世界の抹茶の大半を生産している。
 彼は「家業」を背負うために大学に入った。というより生まれることからすでに「家業」を継ぐことがはじまり それを自らのものとしていたのだろう。
 サラリーマンの家庭に育った私には「家業」というもの自体がイメージにない。だから 全てを家業という規範で行動する彼を半ば感心をしてみていた。
 家業というのは世代を繋いだ総力戦である。TVでとりあげていた抹茶の有機減菌栽培や滅菌生産の技術開発は農芸化学を学んだ彼の弟が担当している。二代目である父母は、長男を経営者、次男を技術者に分担して家業を盛り立てる計画を立てて育てた。そして三代目の彼らはそれを自らの使命としてその計画を実現してきた。
 今、四代目となる彼の子供たちもまた本社、アメリカ支店、技術とそれぞれ分担して家業を担うようになっている。
 昨今の資本と金儲けだけで離合集散し行動する企業より「家業」のほうがはるかに健全だろう。なぜならは、大企業の雇われ経営者たちが会社の不祥事にもっともらしくハゲ頭を並べて下げてもその実個人的にはなんらの負担もしないで逃げていくのに比べ、事業をすくなくも一家一族が全責任をもち全運命を賭けて営んでいるのだから。
 画面で「私たちはお茶のプロです。プロはアマチュアを騙すようなことをしてはいけない」と言っていた彼には自信に満ちた経営者の顔と家長としての重みが備わっていた。   あまりもちあげると次に会った時に殴り難くなるが(笑)  *注私はこれまでも殴っていない。
 
09年3月或3日 グリーンニューディール
 
が言われているが、とうの昔から化石燃料の限界と自然エネルギーの活用の必要性はいろいろな先覚者たちから指摘されていた。
 1920年、大正9年11月22日の講演会で「動力の将来と自然勢力の利用」の記録がある。「火力と水力其の将来及自然勢力資源探求の要」として 1913年調べの世界の石炭推定埋蔵量は7兆4000億トンであり現在の採掘増加率でいくと150年で尽き、なかでも日本は50〜80年で掘りつくすことになる。水力の資源調査量も2億馬力分に過ぎない。現在使用の火力動力は既に1億馬力達している。石炭が尽きたのちは到底現今の需要を満たし文明を維持していくことはできない。依って更に他に有力な動力の自然資源を探求する事が最も肝要である。殊に石炭の最も早く尽きる我が国に於いては殊に急務である。」と指摘している。
 そのうえで太陽熱利用、風力利用、地熱利用、海波及び潮流などの利用理論の現状をあげ、その研究促進を訴えている。
 こうした警鐘と訴えが生かされず 資源確保をめぐる争いが繰り返されたあげくに今日の事態に陥っていることを我々は考えなければならないだろう。
 講演者は、日本の機械工学の先駆者、当時の工業・鉱山機械化の中心的学者であり私の祖父。

09年3月或2日 メールも難しい
 「オフコン」 オフィス向けコンピューターはあったが初めて一般個人向けに既製品のコンピューターを売り出されたのは「コモドール社」の「ペット」というワンチップポードだった。機械物はだいたい使える自信があって買いに行ったが手も足も出なかった。そこで癪にさわり一念発起して電子専門学校の夜間に通うことにした。やっと「マイコン」という言葉ができた頃で「ベーシック」などの言語もまだなくマシン語とアセンブラーやフォートラン、コボルだった。教えている教師も日本初の「電子計算機」「ハイタック」の開発にたずさわった人などで授業も「半導体」の原理からと今からみれば貴重である。
 「コーディング用紙」に一行一行一桁づつプログラムを書き込み、それをチェックしてからパンチカードに打ち込んで「カードリーダー」から「オフコン」に入力する時代だった。「二種情報処理技術者試験」の問題もコンピューターの歴史など簡単なことが多かった。今思えば受験してとっておけば良かったのに。(笑) 
 それからしばらくして「マイコン」が売り出されたがしばらくは「ソフト」がなかったためにベーシックを独学して自分でプログラムを作って仕事に使うしかなかった。ファィルやメモリーが小さいから電卓で容量計算しながらソフトやデーター作って使っていた時代だった。マイコンのプリントに「漢字」が使えるようになって感動をしたものだ。一揃い揃えるのに100万円近くかかった。もっとも漢字一字を打つのにヘッドが二回打たなければ字にならなかった。 8ビットマシンから16ビット、32ビットの「パソコン」になってしばらく離れていたが「ウインドウズ95」を買った時にはあまりの変化に仰天した。
 「コンピューター」も「コンピュータ」になった。 マイクロソフトが「世界中のコンピュータをネットワークで繋ぐ」といった時にはまだどんなことになるのか想像がつかなかったが、それがあたりまえになってしまった。
 それはともかくメールというのもなかなか難しいものである。届いたメールに返事をするのが『礼儀』のようだが返信ができなければどうしようもない。先日も「hiropn・・」という人からメールが届いたがメールに名前も連絡先も書いてないのでアドレスにトラブルがあればどうしようもない。おそらく先方のメール設定に問題があるのだろう。昨日も返信不能のメールが来たがこれは連絡方法が書いてあったのでその旨を伝えることができた。「資料送れ」とあるのに住所・名前・電話も書いてないのもある。
 いちいち「受信通知」をして確認をするのでは面倒だし、やはりメールだけに頼らず他の連絡方法も明記するのが一番良いのだろう。

09年3月或日 山の上にも井戸

 地学や地層などに特別の興味はなかった。あるとしても子供の頃父親に連れられて化石採集に行ったことや庭に穴を掘る遊びをした、といっても竪穴を掘ってそれに子供が入れる位の横穴を作ったのだから相当大きなものだった。今思えばよく親が黙っていたものだ。そんな頃に地層があることには気がついていた。
 現在住んでいる山はフォッサマグナの西端になる。すぐ先の尾根の西裾には高瀬川に沿って糸静線が走っている。西側の大陸プレートは飛騨山脈となり、ぶつかった北アメリカプレートが褶曲して小じわとしてできた山の上に住んでいることになる。
 地層も湾曲して大きく傾きときには縦になっている。掘ってみると山の上なのに玉石や砂利、粘土の層がでて水底が持ち上がったことを示している。この山には岩が無い。その代わりこの辺りではザバとよぶ押し曲げられた岩盤が細かく砕けて脆い砂土になっている。犀川対岸は褶曲で下向きに垂れ下がった逆層の岩山で崩れやすく下手に足を掛ければ岩ごと落下するから恐ろしい。遭難救助の警察犬が落ちてケガをした話もある。
 つまり押しつぶしたバームクーヘンのような地層である。当然地滑りが多く 常時地滑り対策工事が行なわれていておかげで土建屋さんの仕事は絶えない。
 表土はジュラ紀の粘土層で、車のタイヤや靴の裏に着けば滑って進めないほどである。畑の土がそれほどでもなくみえるのは人間が作った土だからである。古老に聞いても落ち葉や柴を集めて踏み込みザバを運び混ぜ、石を拾い除き作物を作ることでだんだんと作土にしてきたのだから凄い営みである。もちろん30センチも掘ると畑の下は重粘土層になる。
 それはともかく山頂にあるにもかかわらず井戸があり 鉄分はあるがきれいな水がでるのは不思議である。井戸から山の峰まで10m程の高低差しかないのでこの間の狭い土地に降った雨が粘土に守られて溜まるとしか思えない。あとはサイホン作用で低地の水が揚がる現象が考えられるが崩れた山腹からは考え難い。
 それにしてもこの山の頂上に水を探り出した知恵と作土を作って住み着いた先人の苦労には頭が下がる。

 頭といえば年寄りに「よくこの山の上で水がでるね」と言ったら、「人間だって頭をケガをすれば血が出るからな」とニヤリと笑っていた。

09年2月或6日
 久々に刺激的な読書
 「昭和天皇・マッカーサ会見」岩波書店刊 豊下楢彦著。昭和天皇は2.26の対処から優れて政治家だとは思っていたが、東京裁判だけでなく新憲法後「象徴」になってからも安保体制を導いていたのは想像外の事実。終生沖縄に行かなかったのも納得。ご長命なはず。

09年2月或5日 少し余裕ができたら
 見習いさんが思ったより仕事をができそうなので少し余裕ができそうだ。ストーブでもやりたいことはいろいろあるのだが、ここ何年もバタバタと追いまくられて新しい仕組みなどを考えても試作や実験ができずフラストレーションが溜まっている。もう少し様子をみて作業を任せられると自分のやりたいことができるかな。
 もっとも それまでは「ここはこうやって」「それはこうして」と面倒を見るのに手間がかかるのだが、しょうがないのだろうけど・・。

09年2月或4日 倒閣運動の主役は自民党!?
 学生の頃「佐藤内閣打倒!」「田中内閣打倒!」三木、福田、大平、鈴木、中曽根、竹下 あとケチスケベ宇野以下略  と歴代内閣打倒!を叫んでデモに参加をしてきた。10万人・30万人・50万人集会もあった。 でも不思議なことに「100年に一度」のアホウ ノンダクレ内閣打倒!のデモはない。かつては「内閣打倒!」のデモや集会を呼びかけてきた社会党(現社民党)も共産党も押し黙っている。 今やテレビのコメンティターですら「内閣打倒の国民運動をしないと」と言っているのにだ。
 なにをしているのかと思ったら 社民党も共産党も民主党も小泉や自民党若手の「アホウ降ろし」=倒閣運動に期待をして待っている。いまや「倒閣」の主役は自民党となってしまった。これには「笑ってしまうほどあきれる」しかない。
 野党は国民に「倒閣」を呼びかけるのではなく「自民党内の倒閣に期待」をして待っているのだから開いた口が塞がらない。まさに与野党共に国民不在の政治である。
 「民度が低い」と言われていたといっては失礼だが韓国、タイ、台湾・・・・の方が間違いなく「民度は高い」。

09年2月或3日 阿呆ソーリー ダェジン
 もう国民こぞって バンザイ バンザイ のお手あげ状態。
 もともと支持する気などないが、それでも私も多少(他生ではなく)の縁があるから バカだアホだと言っては悪いがそれにしても阿呆としか言いようが無い。
 先日NHKで遺伝子は劣化すると番組をしていたが、確かに確かに。大久保利通も吉田茂も劣化するとこうなるのだろう。
 まぁ かといって民○党のハトポッポも生まれも育ちもそして結果も似たようなものになるだろうけど。
 つくづく日本国民は不幸な時に不幸な奴を不幸な椅子に座らせてしまったと思う。
 運が悪いではすまないが ハァ〜
 しょうがないから 仕事をしよう。エィ

09年2月或2日 薪が余った
 今年は1−2センチ積もったのがわずかに2回と極端に雪が少ない。この辺りでは「上雪」とよぶ春先に太平洋岸を北上する低気圧で降る大雪の可能性が残るがそれにしても少ない。もう日差しが強くなり地面も温かくなっているから降り積もってもたいしたことはないだろう。
 一昨年積み上げた薪がほとんど残っている。きこりの人に分けて貰った4トンのコナラから作った最上品だ。梅雨明けを待って積んだので気持ちよいほど乾燥し虫もでず、叩けば固くカンカンと良い音がする。こんな最高の薪が使い残ったのは、ログハウスの手すりが腐りかけた廃材や以前倒した自宅の杉の木などを優先的に焚いたせいである。
 もっともそれ以上に薪ストーブをあまり使わなかったことが原因である。正月前は特に忙しくて薪を運べなかった。
 50mほど離れたところに積んであるのを自宅の窓の下に移し、使う時は窓から薪を掴んでストーブに入れるというやり方をしている。この50mを運ぶのがおっくうなのである。ネコ車だとたいして積めないのでしかたなく薪積み場の脇に軽トラを止めて放り込む。50mを移動。窓の下まで横付けできないのであと6mほどをネコ車で運んで窓下に積み上げる。
これを2回で窓が半分みえなくなるくらいに積み上がる。
 薪を割る時もそうだが、積み上がった薪の棚を見るとものすごく豊かになった気になる。特に良質の薪の時には心も暖かく贅沢な気分である。もっともそれが少なくなって木屑の底が見えてくると寒々としてきてケチな気分になるから不思議だ。
 このまま行けば、次の冬は贅沢三昧ができる気分から出発できそうである。

09年2月或日 代人
 施工主は建設会社の社長と工事の契約をするが社長が現場で指揮をするわけではない。そのため現場には社長の代理人つまり現場 を置くことになる。現場監督のことである。
 私もこれまで300を越える現場に行っているからそれくらいの現場監督と仕事をしていることになる。現場も仕事もそして建物もこの代人しだいでより良くなったり残念な結果のこともある。
 これまで優れているなぁと思った代人は二人いる。
 お一人はスパーゼネコンKのTさん。職人が一日に2-300人入っていろいろな仕事をしている現場だったが、その全てを細かに完全に掌握している。それこそ何処の足場に危険があるか、ドアが当たってキズをつけそうかから今日何時に○○工事がどこまで終わり次の職種が何が出来るか。資材、トラック、重機の作業時間の予測とその対処、雨が降れば誰が困り代わりに何がやれるかまで時間単位で掌握している。だからそれに合わせて先へ先へと各職種がやりやすいように段取りが手配される。これではそれぞれの職人が精一杯の良い仕事をしたくなる。
 話を聞いて凄いと思ったのは、超一流の職人を集めてやっているのかと思ったら「いや超一流の職人に頼っても良い仕事はできない。AクラスやBの上の職人さんたちに良い仕事をしてもらえるように仕事を組み合わせる。無理をさせないで努力してもらうことで安定した仕事ができます。」とのこと。もちろんそれが代人の腕ということだろう。
 朝、昼、三時、夕と各職の責任者会議を開いて工事進行の確認と次の調整をする。時間がとられるのには参ったが、Tさんが居るだけで各職が「良い仕事をしよう!」と自主的に調整するミーティングの効果は絶大だった。
 これでは著名な建築家のAさんがTさんを指名するというのにも納得。
 もうお一人は神奈川のDのKさん。事前の電話打ち合わせが細かいと思っていたら、現場に着けば荷物を降ろす場所から作業スペース、足場、電気など全てが用意されている。こちらはもう良い仕事をするだけである。各職種間の調整も完璧でそれぞれが無駄なく無理なく仕事に専念ができるように手配がされている。その間にも現場の中を駆け回り建築家の意図や住まい手により良くなるように各職に相談をしながら手伝いも、掃除をしてもう次の段取りをしている。「そんなに働いて疲れませんか?」と聞くと「仕事ですからね」。暮れの夜8時まで仕事がかかり帰りに「遅くなってすみません」と言うと「お疲れ様でした。実はまだこれから会社の忘年会に行くんですよ」。
 二人とも、各職の仕事の内容を知り尽くしているだけでなくどうすれば現場で職人が仕事がやり易いか、良い仕事になるように現場全体の流れを作ってある。現場に入っている者は一生懸命仕事をして気持ちがいい。「安全第一」「現場の清掃」などもスローガンではなく現実に即した合理的なシステムにして各自がそのポイントを自覚して実行する空気になっている。
 よく地場ゼネコンやハウスメーカーの現場ではこの種のシステムやミーティングなどをマネしているが形式だけで無内容、時間の無駄のものが多い。突然「現場入出名簿」「安全報告書」なんかを書けと言い出す。もっともらしい書式になっているが「会社の方針だから」書かせるだけで内容は読みもしない。朝全員集会を開いて予定報告や注意指示をするところもあるが空しい。
 もちろん代人の力量も原因だが、それよりもおそらくはそうした会社のお気楽幹部がどこかで聞きかじってきた事をちゃんと理解できていないまま 予算の裏づけもなしに「これはいいことだ。当社でも実行しよう」と『命令』してやらせているのだろう。だからムダに下請け契約や請求やらの書類を作って代人の事務仕事を増やし、現場に着工当初はスローガンや注意書きをベタベタと貼って用具をもっともらしく配置してあっても工事最盛期を過ぎて肝心の終盤にともなれば現場内は各職種が入り乱れ、足場は緩み、養生はずれて役に立たず、簡易便所は汚れ放題、「整理整頓」の看板があふれたゴミ箱の下敷きになっていたりする。
 そんな現場の代人は会社の上役の評価を気にして値引きの要求と「掃除をしろ」などと命令をするばかりで、もっとも大切な施工主の気持ちや良い建物を造ることを忘れて本音は実行予算内で工期に仕上ることしか頭にない。それでは働く職人も力を発揮することはできない。代人も気の毒である。
 「今日の午後は必ずヘルメットを被ってください」と監督助手が触れ回ってきたから何事かと思っていたら、黒のベンツに乗ってきた田舎紳士が背広の上に真新しい作業着を着て代人をお供にして現場を外から覗いている。元請のアホ専務とのこと。どうせヘルメット着用を注意するなら危険作業の前にしろや!

’09年1月或2日 居眠り
 以前は居眠りなどあまりしたことがなかった。
 いつも夕食の時晩酌 その後事務所に戻って図面や見積もりなどをしているのだがたまにテレビを観ようと薪ストーブの温度をあげてリクライニングチァーに座るとネコもストーブのそばでアクビをしながら伸びをしている。そうなるとどうしてもそのまま寝込んでしまう。
 11時を過ぎ、図面や書き物を切り上げて薪ストーブの暖かさに入るとそのまま居眠りに。ということでけっきょくテレビも読書も主のいないままとなる。
 石油ストーブの時はそんなことがないので やはり薪ストーブの暖かさが居眠りの原因なのだろう。
 信州の冬は寒い。明日からはまた終日マイナスの真冬日が続くらしい。

’08年10月或2日 他国の土地を剥ぎ取る
 日本にツーバイフォー工法を導入する頃、日カ政府共同プロジェクトの技術者養成プログラムでカナダの職業訓練学校に行っていた。卒業式でBC州の通産長官から「記念品として我が国の国土の一部を皆さんに贈ります」と木彫りの品とヒスイのループタイを貰った。そう、彼らは日本に木材を輸出することは「国土の切り売りをする」ということをわかっているのだ。当時まだ原木で輸出していた木材を北米規格のツーバイフォー加工材の輸出に転換するのがカナダ側の目的だった。日本へ輸出している木材 製材は百年以上かかって育った樹木を切ったものであり 寒く肥沃ではない土地ではふたたび樹が育つまでに同じような時間がかかるだけでなくその間に土地が荒れてしまうのである。まさに国土を切り売りしているのだから ならば付加価値をつけて輸出したい。
 木材だけでなく食料でも同じである。温暖多雨で国土の2/3に山林があり耕土が豊かな日本では植物は比較的容易に育つがそれでも作物を作れば土の栄養を奪って土地は痩せていく。水田が何百年の連作に耐えているのは豊かな山野から水が栄養を補給してくれているからだ。
 有機農業など土から得たものを土に戻す循環型農業復活が叫ばれているが、輸出したものはその土には戻らない。
 日本が食料を輸入している多くの国々の耕土は実際にはあまり豊かではない。豊かな国でもその再生力は日本ほどないのである。当然化学肥料などでおぎなっているがそれでも砂漠化や塩化の問題が生じている。
 食料を輸入するということは、その国の土地の栄養分を奪ってしまう 国土を剥ぎ取って輸入しているのと同じである。魚介類輸入も同じように外国の豊かな海を奪ってきてその海に戻さないのである。
 
 案外知られていないが、瑞穂の国 日本は稲ワラを大量に輸入している。牛などの飼料としてだけでなく堆肥や敷きワラとして果樹園など田畑に入れるためである。この輸入ワラにも等級があり台湾や韓国の物は飼料などにも使われるが、北朝鮮のワラは果樹園などで草押さえに撒かれる敷きワラにしか使えないほどやせ細って貧弱だった。
 かの国は、食料危機で耕土も痩せているのに、米を収穫して戻せば肥料分となるそのワラさえも輸出していたのである。
 悲しい国だが、それを漫然と輸入する国もまた悲しい国だ。


’08年9月或日
 勤勉
 テレビで『事故米』のニュースを見ていた。次々と映る焼酎のラベルをみながら あぁこれもあれも呑んだなぁ と思いながらふと足元にある今呑んでいる壜をみると「宝山」のラベル。大当たり!という訳だ。日付をみると6月10日とこれまたピッタリ。呑んじゃったのだからいまさらジタバタしてもしょうがないと残った2センチ程も飲み干した。気のせいかいくらかコクがあってうまい。(笑)
 昔「日本人は勤勉」と言われた。でも近頃 バブル経済の前辺りからだろうか 私は日本人が勤勉でなくなったと感じているしそのように言ってきた。「勤勉」というのは「仕事や勉強に一心にはげむこと」(広辞苑)だそうだが古い広辞苑では「つとめほねおること」とある。「励む」というのは「励ます」という言葉があるように気力や心を奮い立たすなどヤル気に関することである。そうすると私などのもっている「勤勉」のイメージ−誠実にコツコツと仕事をする 「つとめほねおる」に近いのは古くなり変ってきているのかもしれない。
  「勤勉」には仕事に励むだけでなくその仕事をする人の労働への誠実さや内容の良さが含まれていたような気がしている。
 それはともかく、ボロ儲けのために転売したり斡旋した盗人同様の連中は論外として、農林省の小役人やうすうすにはなにか?を感じながら買って使った連中もやはり勤勉ではないと思う。彼らが「勤勉」なら農薬入り焼酎はなかったであろう。人が働くということには給料や儲け以外のもっと大切な意味や社会的な役割があるはずである。それを外すと働く人間そのものも壊れてくると思っている。


 

 ’08年8月或2日 無知 無恥
 数年前 近くに民間業者が廃棄物処理施設を建設しようとした。その業者は現在も既にもう少し離れたところで汚泥を微生物処理する同様のプラントを稼動させているが、それを移転新設しようという計画である。既存の施設の状況はひどく、500m離れた国道を車で通ってもあわてて窓を閉めるほどの悪臭を漂わせている。近くにあったコンビニも「商品が腐っていると思われるから」と閉店をよぎなくされ、風向きで数キロ四方にある家は夏にも窓を閉めなければならないほどである。
 いろいろあったが業者の「説明会」なるものが開かれた。社長の「説明」を聞いて驚いた。そもそもは「バクテリアが廃棄物を分解する」というテレビを見て感動して既存のプラントを作ったと得々と「説明」をする。「微生物が分解する時にアンモニアを発生することを知らなかった」「化学や生物的な資格や学歴をもつ従業員は居ない」と平然と言う。果ては「バクテリアで汚泥廃棄物が完全に消滅して無くなるから安全」だと言う始末である。「質量保存の法則」すらわかっていないのである。この会社が市町村の一般廃棄物を処理し社長は廃棄物処理業者の県団体の副会長だとかいうから呆れるほかない。
 社長が「消えてなくなる」と思っている一日何10トンもの汚泥は微生物の分解により同質量の二酸化炭素やアンモニア、硫化水素などのガスとなって放出されているのである。従業員が硫化水素を吸って救急車で運ばれ、近隣住民が悪臭に苦しむのも当然である。
 現在 移転新設の計画は反対運動で消滅し、会社は身売りされて別の業者があいかわらず悪臭を垂れ流している。ところがその社長が今度はジャワ島かどこかで廃棄物施設を作る計画をしていることが新聞に載っていた。恐ろしいし日本人として恥ずかしい。


 
 ’08年7月或日 友人のブログより

 >>「 自分のやるべきことをきちんとこなさない人たち
 この国は奴隷制国家でもないし封建国家でもないのに、仕事をまともにやりたくないやつらが嫌々仕事をしている。
 
やる気が起きないつまらない仕事ならさっさとやめればいいのに。やめられずにそこで働くなら環境を変えるために戦えばいいのに。戦って負けて負け続けても誇りと気概は守れる。
 
自分の自由意志で労働力を切り売りしてるってことを忘れてる。
 食品偽装を騒いでいるけれど、自分自身も労働力の偽装販売をしているってことに気づいてない。
 少々のひもじさと少々の不自由さと少々の大変さを我慢すれば職業選択の自由を行使できるのに。
 その覚悟さえできれば上司や会社と戦うことだってできるのに。
 
よく考えてみれば大したことでもない「豊かさ」にしがみついて、それを失うかもしれないってことに怯えてる。
 マイホームやマイカーや大型テレビや家族旅行やブランド品や子どもの塾通いや家族揃っての外食がある生活を守るために、とんでもなく大切な自分の気概や自分の仕事に対する誇りを捨てているような気がしてならない。
 「負け」組に対する優越感と、そこへ転落してしまったときの恐怖。
 俺から見れば、気概や誇りを失ってしまったやつらが本当の負け組だと思うんだが。だから壊れて腐っていく。
自分の能力や可能性を信じられず、なんでそんなにちょっとした貧乏や失敗に怯えるようになったんだろう。


 ’08年6月或2日 募る
 一緒に薪ストーブを造る人を募ることにした。
 田舎に暮らすのが好きで 薪ストーブを造ることを生業にしたい人なら歓迎をする。
 ただし、儲けることを望む人、生活感覚のない人、そして年配の人には無理である。 「雇われ人」根性の人も無理だろう。なぜなら技能は自らの意欲と苦労でしか身につかないし活かせないから。 
 

 ’08年6月或日 半商品
 労働が労働力商品として機能するのは資本主義的生産関係内のことで、それ以外の生産関係の下では労働は全人間的活動であったりまったく逆に奴隷労働であったりする。しかし、資本主義のもとでも家庭内の主婦の労働のように労働力(商品)といえないものもある。純粋に賃労働でない労働は商品としての労働力の支出とはいいきれない面をもっている。
 マルクスは、商品としての労働力は商品の価値と使用価値とをつくりだすという。でも家庭内の主婦のような労働は使用価値はつくりだすが価値はつくりださない。だがマルクス経済学では、商品としての労働力のつくりだす使用価値と先の主婦のような労働のつくりだす使用価値を区別していない。
 菓子メーカーの菓子は商品価値を目的として作られる。もちろん食品としての使用価値も含まれるがそれは商品として「売るため」の範囲においてである。一方主婦の菓子は家族を喜ばす食べ物としての使用価値を目的として作られる。こちらはもともと商品価値を目的にしていないので価値はつくりださない。それどころか愛情や作る楽しさなどから商品価値には取り付いているコストの制約も無視されることがしばしばである。
 使用価値ついてみたとき、味についてはそれぞれの好みがあるしても、菓子としての使用価値にも両者には質的な違いがあるように思う。高級料亭の料理と家庭の手料理との違いのようなものである。この違いの中にはその生産過程に投下されたのが労働力と労働という質的な違いが関係していると思われる。すなわち商品としての菓子は資本的生産手段と非技能的労働力を結合して作られ、主婦の菓子は家庭の調理道具と主婦の「技能」によって作られる違いによるものである。技能の効用である。技能とは職人などの職業的なものから主婦のもつような家事そして日常のくらしのためのさまざまな伝承的な知恵までを含む。この使用価値と技能については経済社会学者 故 渡植彦太郎(松山商大、「仕事がくらしをこわす」など農文協刊)が技能の創造性をつかみあげるとともに「限界効用の出現は使用価値の終焉を意味する」と解き明かしている。
 さて、主婦の菓子も例えばその評判が良くて「販売をする」ことになった時商品に変わり価値が現れることになる。価値と使用価値とのせめぎあいのなかで「技能」と作り手と買い手との関係性によっては「商品」になりきらない非商品として尻尾をつけた「半商品」として新たな関係性をつくりだしていくことも可能である。主婦にとってはより多くの価値を生産して単なる商品販売者に転落するのか それとも新たな関係性によってより「技能」を高めて使用価値の充実をはかるかである。こうした点については 哲学者 内山節(立教大、「自由論」岩波刊など多)が労働過程の解明を基礎とした哲学であきらかにしている。

 薪ストーブとはいささか関係のないようなことを書いたが、私にとっては造り手としてストーブを造る労働の意味とその成果としてのストーブ、そしてそれを使う使い手にとって大切なことと思っているので。


* これ以前のものは数年前に書いたものである。 なかには私の仕事に似たことをショーバイにしている人に評判が悪いものもあるらしい。といっても直接私に対して文句や「苦情」も「異見」もきたことはなくそんなウワサがあるらしい という程度だ。 異論反論は大歓迎なので大いに交わすことはやぶさかではないが直接こないものにはどうしようもない。ということで一旦書いたものを消すこともないので残しておくことにした。

某月或日  ティラー・システムと労働の自由さ
   「ストーブを造ってみたい」、そんな想いをもった人が突然訪ねてきた。
  今年に入ってからもう5人目くらいだろうか、手紙などを含めればこんな出会いが年に10回以上ある。 今回の人はトヨタ自動車系の工場で現場管理職 をしているという。やっとラインから抜けて管理にまわることができたと言っていた。
   自動車関係のベルトコンベア・ライン製造は「科学的管理法」と邦訳されているテーラー・システムの典型的な労働職場である。
  一人あるいは数人の技能的労働によって行われていた生産活動を打ち壊し 労働過程をひとつひとつの動作にまで分割して課業として労働者に割り当てそれを組み合わせて並べることで生産をおこなわせる。 熟練労働者の労働を観察し、仕事でもちいている基本的な動作をストップウォッチで測り最速の方法を選び、むだな動作や遅い運動を省き、一番早い一番いい運動と一番いい用具を集めて1系列に作り上げる。
 創始者のティラーはこうも言っている。「諸君は考えてはいけない。考えるための人は別にいる。」  労働者はただ決められた通りに手足を動かし続けることだけが求められているのである。
 つまり、課業の標準化を通して仕事を硬直化させ、人間そのものを道具化したのである。
 現在のあらゆる生産のほとんどすべてがこのティラー・システムにもとづいておこなわれている。その結果仕事−働くことはつまらなくなった。自分の労働は常にひとかけらでありそれが作られたもののどこにあるかもわからないのである。
 「手作りの」「職人」「こだわりの」などの言葉のついた物や仕事への関心が高まっているのも労働現場のそんな現実があるからだろう。
 自分で最初から最後まで物を作ってみたい。 労働の自由さ、そんな想いから木工や陶芸などの仕事、農業、調理人そしてストーブ屋にも憧れる人があるのだろう。 

 先の彼も言っていたが、企業に勤めていれば労働に自由さはなくてもそれなりの収入の安定がある。それを捨てるには決意が必要となる。 野良の一匹くらしも傍でみるほど楽でもない。
 この世の中では自由さと不安定はワンセットになっている。 それだけによけい不自由さを感じるのかも知れない。
 でも、そんな世の中の方がよっぽど変だとは言い続けていないといけないだろう。
 

某月或日  似る 真似 にせる まねる
  探し物があって久しぶりにインターネットを回って驚いた。
  なんと私の書いた文章が他人のHPに使われている。それもストーブ販売業者のコピーに使われているのだ。
  さすがにそっくりそのままではマズイと思ったのかひらがなを漢字にしたりしてちょっと変えてある。    
    原文    薪ストーブには人の肌にあった暖か さと心をときほぐす温もりがあります。 
     業者HP 自然の炎の温もりには、人の肌にあった暖かさと心を解きほぐす効果があります
  この文章の前後には「オリジナルのデザインよりその設計施工まで、統括した責任施工」 「エフエムプランの20年間の経験をお役立て下さい」 などと書かれているが、おぃおぃ、人の文章を黙って使っているくせに本当かよォ!?と思ってしまう。
 このフレーズは自分でも気に入っていてHPだけでなく展示の時やリーフレットやパンフ、チラシ数万枚に10年以上使っている。 まぁ たまたま似てしまったという言い方もあるだろうが、ご同業でここまで同じでは言い訳にはなるまい。 探せばまだあるのかも。
 そのほか、私とほとんど同じようなことが書いてあるHPがあるけどお弟子さんの?と知らせてくれる人もいる。こちら(北澤アート)の方は、以前「ストーブを造りたい」と訪ねてきた青年である。教えながらその時渡したリーフリットをなぞってHPも作ったようで、もう少し自分で考えたほうがいいのにと思いながらもいずれ自分の考えがまとまるようになれば変えるだろうとそのままにしてある。
 それにしても私のはじめた「薪ストーブのオーダーメイド」というやりかたをするところが最近ふえてきたようだが、それはそれでいいことだと思っている。   
 ところが、近頃ストーブのほうでも展示しているときなどに 「同じストーブ見た」と言われることがある。聞いてみると誰かに造ってもらった手造りだという。設置場所などを確かめても仕事をした覚えのないところである。話しの感じではどうやら写真や雑誌などに掲載したのを真似ている奴がいるらしい。確かに展示会などでは写真を撮っていく人もいる。ちゃんとことわる人もいるが怪しげな人もいる。こちらもいちいち言うのも嫌だからどうぞと撮らせている。でも、お互いに物作りをやっているのだから、真似るときは一言挨拶をするなり最低のモラルというかルールだけは守ってもらいたいものである。
 もっとも、内部の構造は見えないから燃え方まではマネできない。(^.^)

 
某月或日  日本で薪ストーブはなぜ高いのだろう
 かねてより不思議に思っているのだが、 輸入のストーブはなぜにあのような高値なのだろう。現地では街の金物屋やホームセンターでも500ドルから2000ドル位の自由価格で売られている。同じストーブが日本では20万円から60万円の『定価』を付けてどうどうと売られている。まずは3倍である。
 別に他人の商売の邪魔をする気などないが、まさか公開されている事実を書いて困る者もあるまい。
 せっかくインターネットなのだから各国のネットで値段を比較してみると面白い。たとえば、米国のバーモントキャスティングのHP http://www.vermontcastings.com/など海外のyahooでいくらでも検索できる。
 調べてみると、なんと日本で輸入元が倉庫で代理店に引き渡す値段は『定価』の45%から50%である。まぁこれは卸値であるが、それにしても『定価』30万円といっている物でも現地の小売価格はせいぜい800ドル位−10万円位のものであるから仕入れ値は運賃を入れても8万がところか、それを15万円で卸す輸入元も30万以上で売る代理店もアライ商売をしているものだと感心をしてしまう。気の弱い私などにはとてもできない芸当である。

 なるほど外見は洒落ているし仕掛けも作ってある。しかし、鋳物の肉厚は3〜4.5mm位しかないし、鋼鈑ものもホーロー引きなどしてあるが華奢である。当然強い薪を燃やせば焼ききれる。まぁこのご時世だし、アメリカ物ならスクラップ&ビルドの本場だ。実際むこうでは日本の昔あったダルマストーブと同じ様なものである。量産すればやはり8万円とか10万円何某か也の現地価格にみあって作られた品物=価値である。

 これに数倍の日本だけの『定価』を決めることができるのは、やはり限られた流通を握る者がいて勝手に決めることが出来るからだろう。
 もうひとつは、薪ストーブに「高級品」「高額インテリア」というイメージの晴れ着を着せているからだろう。
 現地では街の金物屋や通信販売でホイと売っている物を、ショールームやきれいなカタログやこれでもかのカラー写真入りの雑誌広告で宣伝する。
 写真も仰々しく周りをレンガの壁で飾り、ピカピカの道具を添えて広い高級別荘を思わせる優雅さに満ち溢れた撮影である。

 昔ジャガーの代理店が「年収3000万円以下の方にはジャガーはお売りしません」と高級車であることを正面に打ち出した広告を見たことがある。我輩なぞは縁がないから「なるほど高額所得高額外車のイメージ作りか」と思った程度であったが、おなじころヤナセに「ヤ○ザにベンツを売らないでくれ」と真顔で申し入れた成金たちがいたが、それと似たような感性なのだろう。
 輸入の自由化が進み,並行輸入、個人輸入の時代になって最近ではこんな商売ができなくなった。それでも盲点があるようだ。
 日用雑貨の海外カタログ購入ができるのだからそろそろ輸入ストーブの販売方法も考え直す時期なのだろう、
ストーブの販売業者の団体が「カルテル」談合組織にならないといいのだが、などと想う。
 
 それはともかく、私は職人だから自分のかけた手間にみあえば好でそれ以上を望まないが,自分の手で物を造らない人たちは大した手品をやっているものだと感心をする次第である。

某月或日   薪ストーブは高級品なのか?

  お客さんと打ち合わせをしながらつくづく思う。暖炉と薪ストーブのイメージが混同させられてしまっている。これだけ耐火レンガの台と壁の写真をみせられては、そう刷り込まれてしまうのも無理はない。

 昭和の中頃に「新住宅」が流行った時期がある。ちょっと高級な住宅である。今は一軒に「和室」が一つであとは洋室だが、その頃は逆に和室のほかに応接間などという「洋間」がひとつあるのが洒落ていたのだ。本当のお金持ちならピアノが置いてあった。そうなると「お嬢さま」と言える。
 その「高級応接間」には「マントルピース」が付くのがお約束であった。といっても、レンガを貼った飾り棚の下に造られたくぼみにガスストーブを置く程度のものがおおかった。この燃やせないマントルピースの上には、高級そうな飾り時計があるのもお約束だろう。
 テレビや映画でみる洋画のシーンに映る暖炉のイメージもある。広いリビングの暖炉には炎がゆらぎ、大きなソファーにゆったりと座って家族の団欒がある。
 気がつかないうちにそんな「高級感」が刷り込まれているのだろうか、マントルピース−暖炉に弱いのである。

 一方,そのころからつい最近まで日本の薪ストーブ、石炭ストーブの記憶は、なんといっても学校のダルマストーブだろう。それと土間に置いて使われたカマドを兼ねたブリキのストーブ。
 ごく最近の冷暖房完備になる前にあの細めの煙突とファンのついた「ポット型石油ストーブ」が出るまでは、学校のストーブは石炭系が多かった。「エネルギー革命」という名ですすめられた石炭から石油の転換までの時期である。
 季節になると用務員さんや先生とストーブを運んできて教室の片隅にブリキを張った台を置き、その中に据えて煙突を繋げて窓からだせば冬支度となる。ちょっと壁から離して置くだけで特別な処置もしない。ヤカンを乗せ周りに弁当を並べて暖め、囲みの柵で濡れた手袋などを乾かす。
 暖炉に比べてストーブは身近すぎて高級感がない、というより日常の生活用具だったのだ。

 薪ストーブ販売業者の販売戦略は、このギャップのある記憶を結び付け、エコロジーや自然回帰の流れにのって薪ストーブを高級なインテリアとして売り込むことである。
 耐火レンガで台を築き、壁を積み上げた形は暖炉のそれそのままである。この舞台の上にストーブを置いてあの優雅な洋画のシーンを家庭に再現する。
 『定価』30万円のストーブと、「安全のための」舞台造りに30万円、煙突に50万円、設置に10万円也で、みごと現地価格10万円そこそこのストーブも総額100万円を超える高額商品へと変身する。

 もちろん安全性は重要である。
 住宅そのものが変わり、ストーブの熱量も大きくなり、生活様式も大きく変わっている。これにあわせて薪ストーブを安全に使うためには昔のストーブの考えを変えて慎重な設置をしなければならないが、それは必ずしもお金をかけることではないのである。
 簡単な例は、壁からストーブを1m離して置くだけで、通常の住宅の壁なら何もしなくてもいいのである。レンガの壁を積み上げる代わりに薄い鉄板の遮熱板を置くだけでそれ以上の遮熱効果がある。

 このまま販売業者が考え出した暖炉まがいのストーブ設置のイメージが蔓延すれば、日本の薪ストーブの利用はおかしな方向になっていくと憂えている次第である。 


某月或日     ギョーカイ
 いったい薪ストーブ業界などという『ギョーカイ』があるものなのかどうかも知らない。
 もともと全国に数人かしかいないだろう薪ストーブを手造りしている者のうちの何人かとは会ったことがあるが、これはとても『業界』ではない。
 輸入のストーブを販売している人たちと出会ったこともほとんどない。もともと”販売する者”と”自分で造る者”とは別の世界に生きているという認識がある。同じ話しをしていても片方は「どうやって売るか」と考えているし、他方は「どうやって造るか」を考えている。
 だいたい私のストーブは、製作上も既製品のストーブとまるで縁がないように造っているから、会う機会もない。
 販売というかストーブの販路も、直接使い手と打ち合わせて造ってお渡ししていから販売業者の手を煩わすことがない。幾度か「売らせてください」という親切なお話しをいただいたことがあるが、自分で尻を拭ける範囲にとどめ、手間が精一杯で人様に販売手数料や販売利益を差し上げる余裕なぞないのでお断りをした。本音を言えば、下請けもピンハネも冗談じゃない、物を造る者をもっと大切にしろというところか。
 そんなことで、ストーブを造りはじめて12年間というもの、ストーブを販売している人たちやその「業界」とは無縁できている。
 「ストーブ協会」?というものができたそうだが、そこともつきあいがない。内容をみると何社かの輸入の大元を中心としてその販売代理店が集まって作られているようである。発行している資料も大半がアメリカとメーカーのマニアルの引き写しである。このあたりの状況も次に書くツーバィフォーとよく似ている。当時私も両政府系の主催でカナダに行って日本導入のための技術研修とネタ集めをした。
 これが同じかどうかは判らないが、この種のような協会にはいい記憶が無い。
 20年以上も前、建築でツーバィフォーの仕事をしたことがあるが、やはり協会というのが作られた。それまでツーバィフォー工法は、中小工務店や一部のプレハブ会社で研究や普及が行われてやっと日本に定着をしてきた頃だった。いまでは大手となった三井ホームも後発で、技術者も居なくてあちこちから引き抜いていた時代だった。その時三井が音頭をとって国の意向を使い中小を含めてつくられたのがツーバィフォー協会だった。
 工法の普及や技術開発というのが設立の目的であったが、それまで中小業者に蓄積されてきたノウハウや技術者の情報が協会に集められ、いつのまにか中小業者は下請けになったり無くなったりして「三井ホームの歴史は、日本のツーバィフォーの歴史です」の吉永小百合のCMのようになった。
 本場のアメリカのように、住宅産業が地元の中小工務店と職人の世界で担われるようになるといい思っていた我輩には、なるほど日本では業界の団体とはこのように使われるものなのだという経験になった。情報を征する者が業界を征する。実際にはたいした情報でなくても集まれば利用できるし、商売の「お話し合い」ができるようになる。
 それはともかく、利用もせず利用されもしないのが一番気楽なのかもしれない。
 
某月或日   安全
 ストーブの安全な設置では,自分の経験に固執する大工さんも困る。
 確かにご自分の家では鉋屑を燃やすストーブを使っているのだと思う。
 でも、どんなに長くてもφ120の煙突を横引きにして、平気で木製のチムニーにシングルの煙突を通す。チムニーのトップを木造で作ってしまう。
 これでは困る。危なくってどうしようもない。
 もともと日本の住宅は開放系である。だから屋内で火を使う方法も囲炉裏や火鉢のように開放燃焼であった。部屋全体を暖めるような暖房は、学校や事務所のようなものができてからでそこでストーブに出会うことになる。
 後はカマドであるが、実は屋内にカマドが作られたのも遅くなってからである。
 ヨーロッパなどの住宅は逆であるから煙を出すことに腐心をしてきた。その文化を途中から違う土地に持ち込んだのは北米であるが、そのあたりのウンチクは別の機会にしよう。
 カマドと風呂の土管や石綿管、石炭用のブリキ煙突あたりからが日本の煙突となる。その影響があって日本の煙突は正差しで細い。本州の家庭では常時暖房用のストーブは少なかったし和室中心ではなおさらである。主流は台所や土間に置いたカマド兼用で暖房用より炊飯の効率が重視されている。時計型の釜蓋はその名残である。 
 このようなストーブ自体の放蓄熱も低く、バァーと燃やして消してしまうストーブを開放性の住宅で簡易設置で使って来た感覚でいるのである。
 まぁ、大工さんからみれば、それまで何をやっていたかわからないような建築にもド素人の奴が、ストーブ専門業者だなどと言って突然聞きかじりの『設置基準』だのどうだのと言ったって信用はしない。
 実際我輩も、現在のストーブ販売関係者の内どれだけが自分の家でストーブを焚いているか疑問をもっている。
 炭化火災や煙突火災も経験してみないとその怖さはわからない。幸いといってはなんだが、私もストーブ造りをする以前に飼料会社で工場を燃やす炭化火災を経験したし、実験を含めて煙突火災も何回かやった。そのほか炭化火災の現場も何軒か見せてもらった。
 どんな職種でも同じだが、自分の経験やできる仕事でまとめようとする嗜好があるが、目を変えて見ると別の世界がみえてくる。
 やはり、強い輻射熱や長期間の使用、薪の弱い排煙力、気密性・断熱の高い住宅などなど新しい視線で考えて欲しいと思う。同時に、はじめにレンガ積みありきのようなおかしな「設置イメージ」ではなく多様で安全な設置方法を各職種の知恵を出し合って工夫するべきだろう。


某月或日     エァータイト
 送られてきた雑誌のストーブ記事を見て笑ってしまった。これまでエァータイトを「気密性」と言っていたのが「密閉」に変わっている。
 ストーブのカタログや記事には「エァータイトで気密性があるから」「気密性が薪ストーブの命」くらいのことが書き散らしてある。
 いくらグラスウールのパッキングをいれたからといって「気密性」はないだろう。「薪ストーブに気密性などない」と批判してきたのだが、実際某有名外国メーカーのマニアルでも「紙1枚の隙間に閉まることができる」といばって書いている程度であるのに、エァータイトという言葉だけで一人歩きをさせている。やっとマズイと気づいたのかなぁ。
 「空気調整が可能な程度の密閉性」あたりの意訳が正確なところだろう。

 雑誌などの記事のなかには高い広告スペースを買い取った販売業者がいかにも客観的であるかのように書いて自社の販売につなげる「記事広告」がある。そこまで露骨でなくてもネタを提供して有利に書かせる「隠れ広告」である。金もださずにネタだけ出す小生のようなものより、金をだす奴の方が大事にされるのは世の習いである。
 某月或日    廃材の薪  
 産業廃棄物のトップにあげられるのが建築廃材だろう。なにせその量が多い。
 私も建築の仕事をしたことがあるのでその処理には困った。また建築主も新築する住宅にはこだわっても古い建物の処分については関心がない。口悪くたとえれば、トイレで水を流して消えればブツが世の中から無くなってしまうような感覚である。建て替えのたいていは親が建てた家を息子の代で新しくするのだが、取り壊しの時に親は涙ぐんだりする光景もあった。万感の想いがあるのは当然である。残念ながら息子や嫁さんはサバサバしたものである。それでも何軒かは古い建物の柱などを使って小道具を作って喜ばれた。こうした気持ちも大切だと思う。
 それはさておき、薪ストーブの利用が里山の復活−活性につながることは大歓迎である。その一方建築の廃材を 薪 として利用することも資源保護の観点からも大切だと思っている。
 その時障害となるのは、建築に使われていた木材には針葉樹が多いことと木材以外のものが混じっていることである。
 一般に廃材はよく乾燥しているのでいいが柱・板材が主であるからどうしても針葉樹系となる。鋳物のストーブのなかには針葉樹が燃える高温に耐えきれずに割れたり焼ききれてしまうものがある。また針葉樹は樹脂分が多いのでタールやすすが増える。まさか「このストーブは壊れますから」とは言い辛いこともあるのか、鋳物のストーブでは必要以上に「針葉樹はダメ。ナラやクヌギことが薪。煙突が詰まる」といいたてる傾向がうかがえる。
 針葉樹でも十分に乾燥したものを他の薪と混ぜて高い温度で燃やせば比較的タールも少なくすることができる。もちろん未乾燥やチョロチョロと焚けばベットリとタールがついてしまう。また針葉樹は比重が軽い−密度がない−から量はあっても重量は無くどうしても火持ちも悪く、メラメラ燃えてしまうように感じられる。
 こうした弱点を知って上手に使うのも薪ストーブの使い方だと思うのだが。
 廃材で困ることのもうひとつは、混入物である。目でわかる石油製品などは薪に切りそろえる時に取り除くことができる。しかし問題は木材に染みこんでいるようなものである。ペンキなどは見分けがつくが防腐剤などは難しい。
 天然木材を木材用ストーブで燃やしたときにでるダイオキシン類は低レベル(0.019〜0.214ngTEQ/Nm3
)であるが、廃木材の場合はその60〜140倍、家庭ごみでは1000倍になったというスイスのデーターがある。同じ報告で中小木材燃焼設備の灰中からも廃木材は自然材の数百倍という値が出ている。ヨーロッパでは建築材に防腐剤が使われていることが多いという事情があるが、比較的使用の少ない日本でも防腐剤が使われている率の高い土台材や柱の根周り部分の利用は避けるべきだろう。(参考 ダイオキシン類のはなし−日刊工業新聞社刊) 
 その他では、「三河のしょうすけ」さんのHPのなかで、輸入廃材の塩分でストーブが傷む、という経験が書かれている。
 「しょうすけ」氏は、私のところに「薪ストーブに使う耐熱ガラスは何を使ったらいいのか教えて欲しい?」と聞いてきたときにもそのようなことを言っていたが、客観的な根拠が明示されていないので理解に苦しむところもある。
 私も調べてみたが、まず公的研究組織で「木材中の塩分やその影響」について調査した結果はなかった。ある意味では問題になった例がなかったともいえよう。ただ、製紙関係で昭和40年代に輸入パルプ原木の塩分によって機械が錆びる問題が発生した例があった。それによるとイカダで輸送し海中保存した原木から天然材の200倍(天然材にはほとんど塩分が含まれていない)の塩分が検出され、対策をおこなったがその後木材の輸送方法も改善されて解決をしたとされている。また、輸入材の製材関係でも同様の問題があったようである。
 塩分がまったく障害がないしは思わないし高温中では化学反応が早く進むことも理解しているつもりだが、廃材に混じる輸入材に含まれる塩分によってストーブが壊れるほどであるかは不明である。
 氏のHPにある「ボロリ」と鉄が剥がれるなどの現象は、私も焼却炉などで経験をしているが、廃材を燃やしていた訳ではない。むしろ燃焼をコントロールできずにドンドン燃やしてしまう焼却炉の特性から、温度の上がり過ぎとゴミからの水分や露天においてある濡れや湿気を含んだ灰の放置という問題が原因だと考えている。
 とりあえず私のストーブでそうとう廃材を燃やしている人もいるが、そのような話は聞いていない。
 それよりも、目下のところは塩分の存在がダイオキシン類の発生と関係がでてくるかのほうの解明が大切だと考えている。

もうひとつ、必要以上に「良い薪」にこだわる風潮が蔓延すれば、里山の活性どころか薪を漁って山を荒廃させ、はては儲けを狙って海外から「薪を輸入しよう」という愚かな輩だって現れかねないことを危惧している。 

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